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京の秋祭
多彩な「京の秋祭」を大特集!知る人ぞ知る祭といわれながら50回目を迎えた「櫛まつり」を
ピックアップしてご紹介します。もっと楽しくなる、皆さんのお宝情報大募集しています。

9月特集1「京の秋祭」
今では東大路から祇園・巽神社を折り返して花見小路を戻る時代風俗行列のコースも
時代とともに変遷してきたという(写真・奥田陽一朗)


50回目を迎えた女たちの時代祭--櫛まつり(安井金比羅宮)
昭和36年に安井金比羅宮境内に「久志塚(櫛塚)」を建立し、美容師たちが使い古した
櫛や折れた櫛などに感謝を込めて櫛供養を行ったところから始まった「櫛まつり」。
当初は櫛の日にちなんで9月4日に行われていましたが、美容師の方々の仕事との兼ね合いから、
今では9月の第4月曜日に開催されています。

「櫛まつり」の原点は故実研究
「『櫛まつり』はそもそも、日本画家であった吉川観方先生が昭和9年に故実研究会というのを作られ、
その写生会のモデルの髪型をミナミ美容室初代の南ぢうがやらせていただいたのが原点です」と語るのは
時代風俗の結髪と着付けの正しい伝承を目的として設立された京都美容文化クラブの代表で、
ミナミ美容室三代目の南登美子さん。葵祭や時代祭の結髪も手がける第一人者です。

9月特集1「京の秋祭」
ミナミ美容室三代目、有職美容師の南(大林)登美子さん。
葵祭の斎王代や時代祭の江戸時代婦人列などの結髪を長年にわたって担当し、
伊勢神宮御斎主装束着付も拝命されている


「故実研究会では、七夕の日は昔の七夕の髪型を結って、被衣をかぶり祇園にお詣りするような
時代風俗を再現されていました。これが『櫛まつり』の土台となっているのだと思います。
観方先生のご注文は大変で、南ぢうから二代目の南ちえが担当させてもらうようになったのですが、
当時は美容室のお客さんも祇園の芸妓さんたちが多かったので、まだまだ若かった二代目でも
しっかりとした腕を持ち対応できたようです。
そんな時、二代目が折れた櫛を捨ててしまうのは残念だというようなことを観方先生に相談し、
金比羅さんに櫛の塚を建てようということになったそうです。
『櫛まつり』も最初は七五三詣りとかテーマを作って、観方先生の櫛や絵を並べ、お点前をして、
美容師たちが習っていた習字や絵の展覧をしたというのがスタートなんですよ」

本物に感じる歴史の重み
「櫛まつり」で有名なのが、すべて地毛で結い上げた時代ごとの髪型と衣裳をまとった女性たちの
時代風俗行列。金比羅宮から祇園界隈を練り歩くというものですが、昨年の「櫛まつり」で
モデルを務めた島田侑子さんは「昨年は雨で時代風俗行列が中止になって残念でしたが、境内の舞台で
モデルをさせていただきました。私は葵祭に釆女で出た時に南先生に声をかけてもらったのですが、
髪の長さが足りなかったので、伸ばすのに時間がかなりかかりました」とその経験を語ります。
侑子さんが髪を結うのに要したのは約2時間。三つ詣りから事あるごとに南さんにお世話になっていたそう
ですが、葵祭や冷泉家で五節舞を舞った時は鬘だったので、「櫛まつり」で地毛で結ってもらった時は、
昔の人の生活の大変さを実感したとのこと。

9月特集1「京の秋祭」
侑子さんが「当時の人はどうやって寝ていたのかな」という髪型は春信風島田
(写真・奥田陽一朗)


「普通、お祭というと『本当にこんな髪型だった?』ということが多い中で、南さんのように
しっかりと時代ごとの髪型を伝承される方が手がけておられるので、素晴らしいと思います」と語るのは、
侑子さんの父で御所人形司の島田耕園氏。
自身のブログで、京都人の普段の生活や祇園祭の氏子としての暮らしぶりを綴る島田氏は
「氏子として内から見るお祭の姿を知ってもらうことで、何かお手伝いをしてみようとか、
祭との関わりも変わっていくのでは。私は京都人でしか作れない仕事をしているので、
人形作りとブログがうまく融合して伝統を伝えていけたらと思っています。『櫛まつり』は
時代祭のようなたいそうなものでなく、身近にいた女性の姿の変遷を見せていただけるので、
観光客の方にもわかりやすいし、知る人ぞ知るお祭として貴重なものだと思います」と語ります。

日本髪の歴史を守り伝えていく
「時代風俗行列では、暑かったり、草履が痛くなったりとモデルさんたちも大変ですが、
いちばん心配なのは雨ですね。今までやってきて、雨に降られたのは2、3回だけですが」
と語るのは実行委員長の奥田英一さん。南ちえさんの頃から補佐役として「櫛まつり」を支えてきた一人です。
衣裳合わせなどの準備から当日の進行を始め、行列のモデルさんたちのケアも実行委員会の仕事。
特にすべてのモデルの髪型と衣裳の記録は貴重な資料となっています。

9月特集1「京の秋祭」
金比羅宮境内の久志塚で行われる櫛供養式典。
時代考証に基づいた髪型を地毛で結い上げたモデルさんたちが並ぶ様は壮観
 

「行列の髪は10人程で結っていますが、お化粧までは手が回らないので、他の方にお願いして、
その時代の顔にしていただくように、髪を結いながらいろいろと注文を付けさせてもらっています。
というのも観方先生は例えば眉の描き方でも、江戸の前期、中期、後期と濃くなっていったという風に
厳しかったので、それを守っていきたいのです。行列での見栄えもありますが、みんなが同じ顔、
踊りのような化粧になってしまっても困りますしね」という南さんは、
80歳を超えてまだまだ現役で活躍できるのは、お祭の結髪や後進の指導など仕事のおかげだといいます。
「『櫛まつり』では、時代ごとにどんな髪型の変遷があったかを楽しんでいただきたいです。
日本髪の技巧を凝らした面白さと10年、20年と勉強してきた美容師の方々の技術を見ていただくこともできます。今年は50回目なので髪を担当する先生方にも品のいい作品を作ってねとお願いしています」

という今年の「櫛まつり」、祇園界隈で時代風俗行列をご覧になることをお薦めします。

9月特集1「京の秋祭」
櫛供養には、南さん(右端)を始め美容師の先生方、モデルさんたちが列席(写真は2008年)

第50回「櫛まつり」
●場所:安井金比羅宮(東山区安井)
●櫛供養式典:12時30分〜 
●時代風俗行列:13時〜
●お問い合わせ:京都美容文化クラブ事務局
          TEL.075-561-2277(ミナミ美容室)



9月特集1「京の秋祭」

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取材ノートから

櫛まつりの取材で伺ったお話の中から、紙面に入りきらなかったエピソードをご紹介します。

櫛まつりの時代風俗行列のモデルさんは、美容学校の学生やお客様、踊りのお稽古をしている人などに依頼しているそうです。南先生も他の神社の催しなどの機会に、いい方がいたら自らお願いすることもあるとのこと。

「モデルさんのお化粧も、昔はろうそくの灯で遊んだときに映える化粧だったわけで、昼間の行列では見え方も違うとは思います。今は顔のかたちも変わってきていますし、瓜実顔や富士額も無くなってきています。頭の先から爪先まで揃って伝統の優美さなわけですが、それは無くなりつつありますね。」という南先生。昔ながらの髪型を再現するにも、顔かたち、お化粧という面では女性像も変わりつつあるようです。


南先生のお話では、櫛まつりの発端となった画家の吉川観方先生の故実研究会が行っていた写生会には、上村松園さんや梶原緋佐子さんといった著名な日本画家の方々も描きに来ていたとか。
その写生のために時代考証のしっかりとした髪型を指導したというのですから、昔の人のこだわりはすごいとしかいえませんね。

「時代祭の見どころは、女性の行列では江戸時代。なんといっても日本髪が栄えた時代の髪型の変遷ですし、地毛で結っているのは江戸時代だけですから」と南先生。和宮さんの大垂髪(おすべらかし=髪を長くたらしたロングヘア)も以前はカツラだったそうですが、重くて大変だったので、今は地毛で結っているそうです。もちろんそのためには、ある程度の長さが必要ではと思い、和宮を務める方はロングヘアが条件(?)と伺ってみたところ、以前は、祇園と宮川町の芸妓さんが交互にモデルを務めていたのですが、今は地域から選ばれた女性に変わったので、年齢や顔かたちと演じる(?)役柄がマッチしていないことも多いとか。厳しい先代に鍛えられた方らしいシビアな一面を拝見したように思います。
Posted by 取材チーム at 2010年09月06日 14:46
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